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相楽園(下書き)

■造園主
小寺泰次郎(小寺謙吉もと神戸市長)

■年表
明治18年頃 築造開始
明治末期(40年頃?) 完成
昭和16年以降 神戸市が所有

■名前の由来
中国の古書『易経』の一節
「和悦相楽(わしてよろこびあいたのしむ)」より

■敷地面積
19,565㎡

■形式
池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)
※深山幽谷の景

■見どころ
・蘇鉄園
・樹齢500年の大クスノキ
・春のツツジ
・秋の紅葉
・重厚な正門
・欧風建築の旧小寺家厩舎
・船屋形(昭和55年移築)
・旧ハッサム住宅(昭和38年移築)
・茶室 浣心亭

小石川後楽園

https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index030.html

小石川後楽園とは

小石川後楽園(こいしかわこうらくえん)は、東京都文京区後楽一丁目にある都立庭園。江戸時代初期に水戸徳川家の江戸上屋敷内につくられた築山泉水回遊式の日本庭園(大名庭園)である。国の特別史跡及び特別名勝に指定されている。

 

江戸の大名庭園

大正18年(1590年)、関東に移封された徳川家康は兵農分離を基底とする新しい領国体制を整備し、江戸城の修築とともに大規模な城下町を築いた。

慶長5年(1600年)関ヶ原の戦の勝利によって徳川家の覇権が確定すると江戸城周辺に大名邸が建ち並んだ。

水戸徳川家が小石川に宅地を拝領したのは寛永6年(1629年)のことである。

小石川後楽園は、徳大寺左兵衛が起伏に富み大木の繁る立地を巧みに活かし、伊豆石を運び込んで作庭したと伝える。『後楽記事』によれば家光自らが園池の造成を指図したという。

大規模庭園は単なる慰楽の空間ではなく、社交を通じて重要な政治の場としての役割を果たした。また、池や築山は一種の城壁であり、いざというときの防衛施設でもあっただろう。谷水や湧水を湛える園池は治水施設でもあったし、またここで温められ浄化された排水は農業用水として田畑を潤し生産力の向上に寄与したことであろう。

 

 

造園史 pp.151-153

環境保全(水)

■環境省の役割

水とは

■水資源について

■水質について

飲料水、工業用水、農業用水など異なった尺度での水質が確保される必要がある。

課題:開発に伴う土砂流出による水質汚濁、水質浄化機能を有する場所の喪失による水質悪化、不透水面を流下する水により自然水が汚濁される

農地による水質汚濁問題も。

結論:水質汚濁に対応し、美しい水を維持するためには、森林や干潟、湿地の保全に取り組むとともに、水質を向上させる植物機能の利用などについても検討していく必要がある。

 

■水辺のアメニティの創造

近年の自然や環境への関心の高まりは、親水性の回復などを要望する声としてあげられ、自分たちの地域を少しでもよくしようというまちづくりの動きとも結びついて進展している。

 

 

 

■水循環の仕組み

降水と蒸発・蒸散による水の往来を基本とし、地下水の滞水や川・海などの表面流としての水の存在によって成り立っている。

■日本の状況

  • 世界的に見れば多雨国だが、地域別に見れば多雨と少雨の地域差がある
  • 河川は一般的に急勾配で短い。そのため、降水は短時間に一挙に流出しやすく、洪水の恐れが強い。その一方無降雨時には渇水になる恐れがある。
  • 近年、降水は年1mm強の割合で減少している。特に1955(昭和30)以降減少の傾向が顕著。小雨期に入った状態。
  • 近年各地で深刻な水資源不足が発生している。日々の生活を維持するためには水資源の確保が重要になる。

 

■資源としての水

循環の経路と速度が重要。

水の入る量と出る量の差を、その地域の「水保有量」あるいは「水資源賦存量」と呼ぶ。

 

水資源の保全と計画

ランドスケープデザインでは、一つのまとまりある流域を対象として下記を行う

  • 水資源保全を勘案した空間計画
  • 地形改変などによって新しく空間をつくりかえる際に新たな水資源確保のための施設をつくりだす

 

計画の視点

  1. 水系を保全した土地利用計画
  2. 保水機能の高い森林の保全・創造・維持管理
  3. 伝統的な水資源保全と新しい水源づくり